LPGA功労賞諸岡氏に捧ぐ

2015年12月22日(火)06時07分更新
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3月に鬼籍に入った名物オヤジに大きな勲章が一つ、贈られた。

 

12月17日、都内のホテルで行われたLPGAアワードでのこと。アワード三冠の主役、イボミ(韓国)や新人賞、堀琴音、敢闘賞、表純子らの後でしみじみと名前を読み上げられたのは、故・諸岡誠彬氏だった。LPGA特別功労賞。受賞理由(抜粋)は「1970年代後半から国内女子ツアーを中心にトーナメントのプレス運営に従事し、大会PR業務のノウハウを確立。1998年よりLPGA広報アドバイザーを務め、メディア対応、PR活動の指南役として、多大な貢献をした」というものだ。

 

 一般のゴルフファンにとっては「知らないおじさん」かもしれない。だが、業界では有名な名物オヤジの表彰は、ひときわ大きな拍手で迎えられた。千鶴夫人が代わりにステージに上がり、挨拶をすると、アワード会場を埋め尽くした女子プロや関係者の中には目頭を押さえる者も少なくなかった。それほど、女子ツアーを愛した諸岡さんを慕うものは多かった。

 

海千山千、クセ者だらけのプレスルームで、柔軟かつガンコに(だんだん後者が増えてきたと感じられたのは年の功だから当然か?)に対応する。右も左もわからない新人記者がやってくれば、時に厳しく、時に優しく接してくれる。ニュースを抜いたり、いい記事を書いたときには、記者を讃え、怠けている者には厳しい視線を飛ばした。お酒の席で何度、叱られ、何度、反発し、お互い泥酔して支え合うようにして帰っただろうか。そんなメディア関係者は、数えきれないほどいるはずだ。

その一方で、LPGA関係者(つまり女子プロ)たちへも厳しき優しいアドバイスをし続けた。広報アドバイザーを務める前から、プロアスリートは自らをアピールしなくてはならないことを説き続けた。新人セミナーで教育を受け、マネジメント事務所が管理している現在のプロたちと違い、ゴルフさえうまければいい、スポンサーにさえいいかをしていればいい、という女子プロが少なくなかった時代からずっと口を酸っぱくして、それを口にしていた。昼間だけでなく、酒の席で激論を戦わせることも多かった。現在のLPGAの広報体制が完璧だとは決して思わないが、諸岡さんのアドバイスがあって今日があるのはまちがいない。

 

かつてPGAツアーにはトム・プレイスという名物メディア担当がいた。世界中のどこから取材に来たものに対しても、PGAツアーの広報のために様々な対応をしてくれた。残念ながら年代的に、彼の晩年、ほんの少ししか接点がなかったが、リタイア後になって「色々な話を聞かせてほしい」と、連絡すると快く受け入れてくれたことを思い出す。場所は、PGAツアーの本拠地、TPCソーグラス(フロリダ州)からほど近いトムの自宅。日本からきたペーペーの記者に対し、昔話からツアーの歴史、広報のあり方、自分の考え方などを根気よく話してくれた。

 

トム・プレイスと諸岡さんの直接の接点はほとんどないだろう。だが、双方を知る誰もが、何となくその姿をだぶらせる。「無名のプロなんていない。無名だと思うのは取材する側が不勉強だから」と言っていたトムと、マニアックな話をそれとなく周囲に聞かせ、話題を広げていた諸岡さん。どちらも顔よりも声が思い出される。大きな共通点は、ツアーをこよなく愛していたことだろう。

 

ガンで入院し、自宅で息を引き取った諸岡さんだが、その間の見舞客はびっくりするほど多かった。病人を抱えて大変な時に、快く迎え入れてくれるご家族のおかげももちろんあるだろう。だが、人好きで寂しがり屋だった諸岡さんを慕い、何度も会いに行った人が本当に多かった。

通夜、告別式はさらにすごかった。延べ1000人近い人が香華を手向けたと聞く。もちろん、これ以上に参列者の多い葬祭は珍しくもないが、諸岡さんの場合、義理でやってきた人がほとんどいないように感じられたのには驚いた。悪口を言いながら苦笑しあう親しい者、涙を浮かべ思い出にふける者。遠慮することなく、最後のお別れに棺の中を覗き込み、話しかけていた者もたくさんいた。

 

LPGAの粋な計らいに「オイ、なんだよ。そんなことしなくていいんだよ」-そう照れる声が聞こえた気がした。ほめてもらえるような原稿を書き続けることこそ、我々のできるただ一つの供養に違いない。


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