五輪若洲開催に影響大の都知事選!

2016年7月28日(木)08時29分更新
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都知事選挙を目前に控え、東京は日々、騒がしい。2人続いて〝政治とカネ“の問題で途中退場した知事の後任に、21人もの候補の中から誰を選ぶのか。都民の良識が問われている。〝主要三候補”を勝手に決めつける大手メディアの偏向報道は目に余り、これに対して他候補の有志6人(上杉隆、山口敏夫、マック赤坂、七海ひろこ、中川暢三、立花孝志)が、在京テレビ局やBPOに是正を求める要求書を送ったことも話題となっている。

都知事選がなぜ、ゴルフ関連の記事につながるのか。2020年東京五輪の会場決定に都知事は大きな権限を持っているからだ。

112年ぶりにゴルフが五輪競技となるリオ五輪は間もなく開幕。4年後の東京でも行われることが決まっており、会場は霞が関CC(埼玉県)とすでに発表されている。しかし、これにはと反対する声は多い。かくいう筆者も反対派の一人だ。

なぜ、五輪会場が霞が関CCではいけないのか。理由は簡単。五輪の舞台でゴルフ競技を行う意味が激減してしまうからだ。そもそもゴルフが五輪競技に復帰したのは、世界のゴルフ界が一つになって国際オリンピック委員会(IOC)に働きかけたから。2003年にWorld Amateur Golf Councilを、プロを含めた包括的国際団体International Golf Federation(IGF)に変えた時点で、五輪復帰は目標となっていた。2008年から積極的に五輪復帰を目指して世界のトップゴルファーを巻き込んだ活動を始め、これが奏功。2016年リオ・デ・ジャネイロ、2020年東京の2度の五輪でゴルフが行われることが決まった。底辺拡大を狙う世界のゴルフ界にとっては万々歳のはずだった。ところがそこから先がうまくない。波乱続きのリオには、トッププレーヤーたちの不参加が相次いぎ、競技フォーマットを含めて次の東京に向けて課題は山積している。

その東京もすでに問題を抱えている。霞ヶ関CCを競技会場にしたことだ。プライベート(メンバーシップ)の霞が関が舞台では「ゴルフの普及」という最大の目的がほとんど失われてしまう。リオ終了後に決定する次のフォーマットがどのようなものになろうとも、五輪で大切なレガシー(遺産)がほとんど残らないことになる。

五輪でゴルフに興味を持った人が、後日「あのコースでプレーしてみたい」と思っても、プライベート(メンバーシップ)の霞が関では、自由にプレーできない。機会が得られることがあるとしても、あくまでもプライベートコースが「ビジターにプレーさせてやっている」という形に過ぎない。五輪で広がったゴルフへの興味が、その先につながらず、限られた一部のものだけが恩恵を受ける。これではレガシーとは言えない。

一方、パブリックコースで五輪競技を行えば、混雑することはあっても誰にもプレーのチャンスはある。五輪を見たことがきっかけで、そこを訪れる者が現れたり、ゴルファーが増えたりする。さらに日常からゴルフ観戦するファンが増えることにつながる。これこそが底辺拡大だ。誰もがプレーできる五輪コースそのものだけでなく、様々な形で残るこれこそレガシーというものだ。

日本選手がメダルを取ることも重要かもしれないが、それよりはるかに大切なレガシーは前述のように別のところにある。霞が関CCが会場となるのでは、これができない。たとえ人気が出たとしても、一過性のもので終わってしまう。それどころか「やっぱりゴルフは金持ちのスポーツだ」という意識を上塗りしてしまう危険すらある。

だからこそ、パブリックコースでの開催が必須となる。候補として最適なのは東京都が持っている若洲ゴルフリンクス(東京都江東区)というわけだ。

ゴルフの振興は、50年先、100年先を見据えて行われるべきものだ。その大きなとチャンスである東京五輪が、日本という井戸の中を現在牛耳り、食い物にしている者たちのプライドや、虚栄心を満足させるためのものであってはならない。この単純な理屈に、東京五輪のゴルフ競技に携わる面々の多くが耳を傾けようとしていない。この現実を変えなければならない。

東京都知事は、東京五輪の会場決定に大きな権限を持つ。候補者の一人、上杉隆は、学生時代からゴルフを愛し、日本ゴルフ改革会議事務局長として東京五輪の霞が関開催に反対。若洲開催を主張している。これには大いに賛同できる。

スポーツと政治を切り離して考えるべきかどうかという議論は度々、行われてきた。しかし、五輪が政争の具に利用されているのは現実だし、政治を利用せずにスポーツ、とくにプロスポーツが成り立っていないのも現状だ。都民として、また縁あってゴルフに携わる者として50年、100年先のことを考える時、何が必要なのか。これを機会に改めて考えたい。


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