地下鉄サリンを風化させない

2018年3月17日(土)02時55分更新
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「事件を現実のものとしてとらえて欲しい」。そんな意味を込めて、地下鉄サリン事件被害者の会代表世話人の高橋シズヱさんは、公安調査庁のホームページの中で事件の被害者となった夫、一正さんの死亡時のカルテと死体検案書を公表したことを明らかにした。

3月17日に都内で行われた「地下鉄サリン事件から23年の集い」での講演でのこと。高橋さんがこの決断に至るまでには、世界中のたくさんの人々との出会いがあった。

1995年3月20日。治安の良さでは世界トップクラスを誇るはずの東京を、前代未聞のテロが襲った。朝の通勤時間の営団地下鉄(当時=現東京メトロ)3路線5車両内に猛毒サリンが散布され、13人が死亡、6286人が重軽傷を負った。一正さんは霞が関駅助役として勤務中に事件に遭い、亡くなった。

麻原彰晃(本名松本智津夫)率いる宗教団体オウム真理教の犯行と断定された事件は、2日後に山梨県の教団施設に一斉家宅捜索が入って表面化。5月には麻原が逮捕されて、犯行が次々に事件として告発される。長い年月をかけて幹部を中心にそれぞれの事件にかかわった信者たちが逮捕された一連のオウム真理教事件の中でもひときわ被害が大きく、日本中を恐怖に追い込むものだった。

あれから23年。長い年月をかけて麻原を始め13人の死刑が決定し、今年の1月に最後の被告、高橋克也の終身刑が確定したことで、ようやく一連の裁判が集結した。直近では13人の死刑囚のうち7人が東京拘置所から全国の拘置所に移送されている。もちろん毎年、その時期には「あれから○年」と、ニュースで取り上げられるが、直接、事件とかかわりのない人々の間で、ともすれば事件は風化しがちだ。

しかし、被害者とその遺族にとって、決して事件が終わることはない。突然、理不尽な形で人生を断ち切られた人々、愛する人を奪われた人々、人生を捻じ曲げられた人々・・・。その代表として活動を続ける高橋さんには「あの時まだ生まれていなかったみなさんも含めて、23年前のこと(地下鉄サリン事件)を、現実としてとらえて欲しいんです」という思いを強く持っている。

「それまで何の苦労もなく、楽しく、主人の前でわがままいっぱいで過ごしていました」と、48歳で最愛の夫を奪われるまでの日々を振り返る。事件後、制服姿のままなくなった一正さんと対面した。

時を経て、被害者の会代表世話人となり、被害者救済活動を行う中で、研修として渡米。ツーソン(アリゾナ州)ピッツバーグ、フィラデルフィア(いずれもペンシルバニア州)シンシナティ(オハイオ州)ヒューストン、フォートワース(いずれもテキサス州)ロサンゼルス(カリフォルニア州)など各地で犯罪被害者遺族との交流を持った。

その中でも忘れられないのは、フィラデルフィアで会った娘を奪われてわずか3か月の両親のことだと言う。「手に持っている紙をくしゃくしゃに丸めて『娘を亡くした私の心はこんな状態でした。でも、色々の人の支援や助けを受けて、今ではこれくらいになってきています』ってそれを広げたんです。驚きましたね。その時、私は(夫を亡くしてから)5年目でしたけど、娘さんを亡くしてわずか3か月で、自分の状態が人に説明できるなんて」と、米国では被害者支援の環境が整っていることを実感し、その必要性をより強く感じた。

2011年9月11日の同時多発テロの被害者とその遺族の「救済について知りたい」と、事件から3年後にはニューヨークへ。被害者遺族と交流し、メモリアルミュージアムを訪れたことが、公安調査庁ホームページに一正さんのカルテと遺体検案書という極めてプライベートなもの公開したことにつながった。「ニューヨークの勇気を見習おうと思って」。そう言って、高橋さんは辛い記憶とその後の戦いの日々を口にした。

「PTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉はよく知られていますがPTG(心的外傷後の成長)という言葉はあまり広まっていません。これは、先ほどお話ししたくしゃくしゃに丸めた紙がまた広がるようなことなんです。23年前にはまだ生まれていなかった方々にも言いたいのは、人生には心が固まってしまって動かなくなることが多かれ少なかれ1度や2度はあります。でも固まったままでなく、(紙のように心を)広げてください。誰かと一緒に広げようと思ってください。私は、巡り合ったすべての人たちに助けていただきました。メディアの人たち、弁護士さん、他の事件の遺族の方、友人たちに」。

突然の悲しみから、23年の間、自分の心を再び広げよう(動かそう)と努力すると同時に、他の被害者や被害者遺族を始めとする周囲の心にも働きかける活動を、高橋さんは続けてきた。

悲劇を決して繰り返してはならない。そのためには、事件を風化させてはいけない。オウム真理教は姿を消したが、その残党たちは形を変えて活発に動いている。悲劇が再び起こらない保証はどこにもない。だが、事件を記憶し、語り継ぐことは、それを防ぐ大切な第一歩となる。

支援を受けること、支援することの大切さと、事件を風化させない。高橋さんは静かな語り口で、2つのことを強く伝えてくれた。

(遠藤淳子)

 


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